いとこ来たる [台湾生活・雑感]
日本にいる母からメールが届いた。
母の姉の娘さん、つまりわたしにとっては従姉弟(いとこ)にあたるHさんが台湾へ行くので会ってあげてほしいという。台北の故宮博物院を見学するツアーに一人参加するのだそうだ。せっかくだから台北に住んでいるわたしに会っておこうということらしい。
しかし、Hさんとは親類の結婚式や葬式でしか顔を合わせたことがなく、最近ではもう10年近くも会っていない。顔は伯母にそっくりなので覚えてはいるが、久しぶりに会って話すにはあまりにも基本情報が欠けている。最近の伯母の様子、Hさんは今どこに住んでいるのか、Hさんの家族の構成、そもそもHさんは今おいくつなのかなど、どうもはっきりしない。
当日の朝母に電話して聞いてみると、母とはわずか6歳しか違わないという。
ああ、そうだった。母と伯母は親子ほど年が離れていたのだ。大体Hさんはわたしが物心ついた頃にはもう立派な「おばさん」だったのだ。したがって、わたしとHさんも親子ほど年が違っているのだ。
“夜市へ行きたいらしい”と母は言った。Hさんが泊まるホテルの近くに夜市はないかと調べたら結構有名なのがあった。まあ、この辺りを歩いたらいいかと大体の見当をつけ、ホテルへと向かった。
MRT(台北の地下鉄)で目的地に向かっている途中、携帯電話が鳴った。知らない電話番号だった。電話に出ると知らない台湾の人が日本語で“あっ、鯉三さんですか。わたしは張と申します。お電話代わります”と言って、すぐに聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
“あっ、鯉三くん、あのねえ、8時にはホテルに着かへんねやて。8時半になるわ。ほんだらね。よろしくー。”
結局台北駅で降りて少し買い物をして時間を潰すことになった。まあ、こういうこともあるだろうとは思っていたが、ガイドの人の携帯電話を借りて連絡してくるところがいかにも大阪のおばさんらしく、それをちょっと懐かしく、そしてちょっと恐ろしく感じたのだった。
10分ほどホテルのロビーで待っていると、観光バスがホテルの前に到着し、ぞろぞろと人が降りてきた。Hさんもすぐに姿を見せた。
“ちょっと待ってな、先に部屋の鍵もろてくるから。”
どうもチェックインの前に食事や観光を済ませたらしい。
“どこ行ってきたんですか。”
“夜市や。”
ええっ!夜市を案内しろって言ってたのに。
まいったな、こりゃ...
“もう屋台はいいんですか?”
“ふん、屋台はもうええわ。わたし、屋台で食べたらあかんて言われてるねん。”
“あ、そうですか...ほんだらどこ行こかな...いや、困ったな...”
“あんたが彼女といっつも一緒に行ってるところへ連れて行ってくれたらええやん!”
いや、そういうところへは一緒に行きたくないんだ、とは口に出さなかったが、これは困ったと思った。
ホテルを出ようとすると、
“いややわあ、雨降ってるやん。なんで傘持って来いって言わへんの!ちょっと傘取ってくるわ。”
と言って部屋へ戻っていった。さっき、バスを降りる時に雨が降っていたのを見て知っているはずなのに、なぜわたしが怒られるのか。
「ああ、始まった...」
これがまさしく大阪のおばちゃんのペースなのだ。
傘を取ってくるだけなのに、なかなかロビーへ降りてこない。
やっと降りてきたと思ったら、服を着替えている。
“雨降ってたら泥水はねるしな。スカートの方がええやろ。”
そんなん、ぼく知りません、とは言わなかったが、まあ、女性らしいことだと思っておこう。
“鯉三くん、思ったより若いなあ。わたしと6歳違うだけやろ?”
へっ??
“何言うてはるんですか。それはうちの母とでしょうが。”
“えっ?お母さんいくつやのん?”
“昭和○○年生まれです。”
“...ああ、そうやったかな。でもわたしまだ○歳よ。七つも違うんやから。”
なぜか機嫌を損ねたようだ。
しかし、失礼なのはHさんの方ではないか。いくら従姉弟だからといって、子どもの頃から立派なおばちゃんだと思っていた人に同年代だと思われるのはあまりにもおもしろくない。実際17歳も年齢差があるというのに。
“わたしな、エビの団子とイカの団子が食べてみたいねん。あのてんぷらみたいなやつ。日本のテレビで紹介されてたんよ。”
それは難しい注文だ。そんなものを出す店が都合よくこの近くにあるだろうか。このホテルの近辺のことはあまり詳しくないし、いやまったく困ったことだ。
とりあえず大通りに出てしまおうと思い、傘をさして歩き始めた。
台北はこの日とても冷え込んだ。
しかし、Hさんの足取りは軽く、旅の疲れを感じさせないものだった。
歩きながら話していると、どうもいろいろ世界中を旅行しているらしい。ご主人と旅することもあれば、今回のように一人でツアーに参加することもあるようだ。
“アンコールワットへ行った時にね、高い石段に上って降りられへんようになってん。「キャー」って叫んだら、ハンサムなフランスの男の人が助けてくれはってん。日本の男なんか、全然あかんわ。みんな知らんぷりしてるねんで。”
ぼくも従姉弟じゃなかったら知らんぷりするかもしれない、とは言わなかったが、Hさんはどうもその時のことが嬉しかったようだ。旅を楽しんでいる様子が伝わってきた。
奇跡的に、エビの団子もイカの団子も出している店があった。わりと小ぎれいだし、台湾の庶民的な料理が揃っていて、これはラッキーだと思った。
席についてメニューを眺めている時に地震があった。天井に吊るしてある赤い提灯が揺れている。翌日のニュースでかなり大きい地震であったことを知ったが、その時はそれほど怖く感じなかった。目の前にもっと怖いものがいたからかもしれない。
“いやや、まだ揺れてるやん。”
“もう揺れてませんよ。ほら、提灯もう動いてませんやん。”
“わたし、ちょっとビーフンも食べてみたいわ。”
こんなにたくさん注文して、全部食べられるのか。Hさんは店員が運んできたビーフンに箸をつけたっきり、なぜかそれ以上食べようとしない。
“これ、あんまりおいしないわ。あんた全部食べて。”
しかし、エビとイカの団子は気に入ったようで、二人で瓶ビール一本を飲みながら、あっという間に平らげた。この間、Hさんは伯母や自分の家族のことをいろいろ話してくれた。知らなかったことが多く、今は天真爛漫に第二の青春を送っているHさんのこれまでのご苦労の一端を垣間見たような気がした。
“わたしなあ、主人が店をたたんでから、やっと解放されてん。息子も娘もみんな結婚したし、これからはわたし思いっきり楽しむねん。”
Hさんは弾けていた。何かを取り返すかのようにではなく、本当にこれからが自分にとって大切な時間なのだというような感じで、人生を楽しんでいる様子だった。
そろそろ時間だと思い、時計を見ると、
“まあ、あんたも日本へ帰ってくることやし、今ここで話すこともないか。”
いや、もうたくさん話したやんか。まだしゃべり足らんの?とは言わなかったけれども、またたまに会って話すのもいいかなと思った。しょっちゅうは困るけど。
ホテルまで送って、Hさんがフロントで鍵を受け取っている間に、ちょっと用を足しにトイレに入った。
“鯉三くん、今日はありがとうな!”
ちょ、ちょっと!
ちょっとくらい待ってくれてもええやんか!
仕方なくトイレを出て、別れのあいさつを済ませ、
またすぐにトイレに戻ったのだった。
弾ける従姉(いとこ)
また会いましょ!
母の姉の娘さん、つまりわたしにとっては従姉弟(いとこ)にあたるHさんが台湾へ行くので会ってあげてほしいという。台北の故宮博物院を見学するツアーに一人参加するのだそうだ。せっかくだから台北に住んでいるわたしに会っておこうということらしい。
しかし、Hさんとは親類の結婚式や葬式でしか顔を合わせたことがなく、最近ではもう10年近くも会っていない。顔は伯母にそっくりなので覚えてはいるが、久しぶりに会って話すにはあまりにも基本情報が欠けている。最近の伯母の様子、Hさんは今どこに住んでいるのか、Hさんの家族の構成、そもそもHさんは今おいくつなのかなど、どうもはっきりしない。
当日の朝母に電話して聞いてみると、母とはわずか6歳しか違わないという。
ああ、そうだった。母と伯母は親子ほど年が離れていたのだ。大体Hさんはわたしが物心ついた頃にはもう立派な「おばさん」だったのだ。したがって、わたしとHさんも親子ほど年が違っているのだ。
“夜市へ行きたいらしい”と母は言った。Hさんが泊まるホテルの近くに夜市はないかと調べたら結構有名なのがあった。まあ、この辺りを歩いたらいいかと大体の見当をつけ、ホテルへと向かった。
MRT(台北の地下鉄)で目的地に向かっている途中、携帯電話が鳴った。知らない電話番号だった。電話に出ると知らない台湾の人が日本語で“あっ、鯉三さんですか。わたしは張と申します。お電話代わります”と言って、すぐに聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
“あっ、鯉三くん、あのねえ、8時にはホテルに着かへんねやて。8時半になるわ。ほんだらね。よろしくー。”
結局台北駅で降りて少し買い物をして時間を潰すことになった。まあ、こういうこともあるだろうとは思っていたが、ガイドの人の携帯電話を借りて連絡してくるところがいかにも大阪のおばさんらしく、それをちょっと懐かしく、そしてちょっと恐ろしく感じたのだった。
10分ほどホテルのロビーで待っていると、観光バスがホテルの前に到着し、ぞろぞろと人が降りてきた。Hさんもすぐに姿を見せた。
“ちょっと待ってな、先に部屋の鍵もろてくるから。”
どうもチェックインの前に食事や観光を済ませたらしい。
“どこ行ってきたんですか。”
“夜市や。”
ええっ!夜市を案内しろって言ってたのに。
まいったな、こりゃ...
“もう屋台はいいんですか?”
“ふん、屋台はもうええわ。わたし、屋台で食べたらあかんて言われてるねん。”
“あ、そうですか...ほんだらどこ行こかな...いや、困ったな...”
“あんたが彼女といっつも一緒に行ってるところへ連れて行ってくれたらええやん!”
いや、そういうところへは一緒に行きたくないんだ、とは口に出さなかったが、これは困ったと思った。
ホテルを出ようとすると、
“いややわあ、雨降ってるやん。なんで傘持って来いって言わへんの!ちょっと傘取ってくるわ。”
と言って部屋へ戻っていった。さっき、バスを降りる時に雨が降っていたのを見て知っているはずなのに、なぜわたしが怒られるのか。
「ああ、始まった...」
これがまさしく大阪のおばちゃんのペースなのだ。
傘を取ってくるだけなのに、なかなかロビーへ降りてこない。
やっと降りてきたと思ったら、服を着替えている。
“雨降ってたら泥水はねるしな。スカートの方がええやろ。”
そんなん、ぼく知りません、とは言わなかったが、まあ、女性らしいことだと思っておこう。
“鯉三くん、思ったより若いなあ。わたしと6歳違うだけやろ?”
へっ??
“何言うてはるんですか。それはうちの母とでしょうが。”
“えっ?お母さんいくつやのん?”
“昭和○○年生まれです。”
“...ああ、そうやったかな。でもわたしまだ○歳よ。七つも違うんやから。”
なぜか機嫌を損ねたようだ。
しかし、失礼なのはHさんの方ではないか。いくら従姉弟だからといって、子どもの頃から立派なおばちゃんだと思っていた人に同年代だと思われるのはあまりにもおもしろくない。実際17歳も年齢差があるというのに。
“わたしな、エビの団子とイカの団子が食べてみたいねん。あのてんぷらみたいなやつ。日本のテレビで紹介されてたんよ。”
それは難しい注文だ。そんなものを出す店が都合よくこの近くにあるだろうか。このホテルの近辺のことはあまり詳しくないし、いやまったく困ったことだ。
とりあえず大通りに出てしまおうと思い、傘をさして歩き始めた。
台北はこの日とても冷え込んだ。
しかし、Hさんの足取りは軽く、旅の疲れを感じさせないものだった。
歩きながら話していると、どうもいろいろ世界中を旅行しているらしい。ご主人と旅することもあれば、今回のように一人でツアーに参加することもあるようだ。
“アンコールワットへ行った時にね、高い石段に上って降りられへんようになってん。「キャー」って叫んだら、ハンサムなフランスの男の人が助けてくれはってん。日本の男なんか、全然あかんわ。みんな知らんぷりしてるねんで。”
ぼくも従姉弟じゃなかったら知らんぷりするかもしれない、とは言わなかったが、Hさんはどうもその時のことが嬉しかったようだ。旅を楽しんでいる様子が伝わってきた。
奇跡的に、エビの団子もイカの団子も出している店があった。わりと小ぎれいだし、台湾の庶民的な料理が揃っていて、これはラッキーだと思った。
席についてメニューを眺めている時に地震があった。天井に吊るしてある赤い提灯が揺れている。翌日のニュースでかなり大きい地震であったことを知ったが、その時はそれほど怖く感じなかった。目の前にもっと怖いものがいたからかもしれない。
“いやや、まだ揺れてるやん。”
“もう揺れてませんよ。ほら、提灯もう動いてませんやん。”
“わたし、ちょっとビーフンも食べてみたいわ。”
こんなにたくさん注文して、全部食べられるのか。Hさんは店員が運んできたビーフンに箸をつけたっきり、なぜかそれ以上食べようとしない。
“これ、あんまりおいしないわ。あんた全部食べて。”
しかし、エビとイカの団子は気に入ったようで、二人で瓶ビール一本を飲みながら、あっという間に平らげた。この間、Hさんは伯母や自分の家族のことをいろいろ話してくれた。知らなかったことが多く、今は天真爛漫に第二の青春を送っているHさんのこれまでのご苦労の一端を垣間見たような気がした。
“わたしなあ、主人が店をたたんでから、やっと解放されてん。息子も娘もみんな結婚したし、これからはわたし思いっきり楽しむねん。”
Hさんは弾けていた。何かを取り返すかのようにではなく、本当にこれからが自分にとって大切な時間なのだというような感じで、人生を楽しんでいる様子だった。
そろそろ時間だと思い、時計を見ると、
“まあ、あんたも日本へ帰ってくることやし、今ここで話すこともないか。”
いや、もうたくさん話したやんか。まだしゃべり足らんの?とは言わなかったけれども、またたまに会って話すのもいいかなと思った。しょっちゅうは困るけど。
ホテルまで送って、Hさんがフロントで鍵を受け取っている間に、ちょっと用を足しにトイレに入った。
“鯉三くん、今日はありがとうな!”
ちょ、ちょっと!
ちょっとくらい待ってくれてもええやんか!
仕方なくトイレを出て、別れのあいさつを済ませ、
またすぐにトイレに戻ったのだった。
弾ける従姉(いとこ)
また会いましょ!
お疲れ様でした・・・というしかありません。
親戚とはいえ、あまりにずうずうしいですね。驚いちゃいました。
by STEALTH (2009-12-22 07:06)
パワフルな従姉妹さんですね。
振り回されている鯉三さんがまるで少年のようで可愛らしい^^
私も台湾で鯉三さんを振り回してみたかった(笑)
by まぐろとわさび (2009-12-22 08:05)
笑ってはいけないのでしょうけど…^^;
悪気は無いのですものね^^
従兄弟かぁ。希薄な関係かも。
by ゴーパ1号 (2009-12-22 09:43)
女はある年齢を超えると恐いものはなくなるのでしょうか^^; 明るくてパワフルな従姉妹さん、バンザイ!です♪
わたしも振り回してみたかった^^v
by たま (2009-12-22 15:41)
実際すごく大変だったのでしょうけど、笑っちゃいました(笑)
しかし満足して帰ってもらえたようですね。接待ご苦労様でした(^^;
by ぶなねこ (2009-12-22 22:09)
お疲れ様でした。
親戚というものはそういうものですよね。
私も年の離れた従姉がいます母と同じ年の従姉
私の場合振り回された事はありませんけどね
by べっこら (2009-12-22 22:59)
帰国されるということでコメントせねばせねばと思いつつ、ご無沙汰してしまい、すみません。
今回の内容、グレゴリ青山の絵のイメージで読んでしまいました。
ラーさん、マメさんは大阪のノリにびっくりするのかな?
by 将軍 (2009-12-22 23:25)
まあ、良い思い出になったんではないでしょうか。
帰国したら、こんなおばちゃんゴロゴロいるんでしょうね。
大阪、怖いわ~~。^^;
by たいへー (2009-12-23 08:00)
「オイッ」と思わずツッコミを入れたくなるような・・・でも、いい人ですね^^。
いろんな意味で大阪のおばちゃんは本当に最強です。いったい大阪の地域性の何がそうさせるのか・・・未だにわかりません(-_-。
by ふじのしん (2009-12-23 11:38)
鯉三さん、こんにちは。
記事を楽しく読ませていただきました。
17歳年上のいとこさんに気を使いながら、優しく接しておられる鯉三さんのお姿が目に浮かびました。
帰国されるんですか?
by sweet_grass2006 (2009-12-24 22:27)
いちいち、鯉三さんの心の中の声(ツッコミ)が楽しいです。(^^)v
名案内で、鯉三さんの株も上がったことでしょう。
教訓 : たとえ17歳年上でも、一応、「若い!」ということを強調して差し上げると女性は喜ぶかと・・・(笑)
by びっけ (2009-12-25 14:17)
誠にお疲れ様でした。
私も同じような経験があるので、
気持ちはわかります(^^;)
by nekotaro (2009-12-25 14:35)
いとこさんも鯉三さんも面白いですね!^^
私は個人的に大阪の方が好きなんです。韓国語を教えていたとき、私に「あほか!」と親しく突っ込んでくださった方々は皆大阪の方で。そして人を笑わせようとするから、一緒に話していると本当に楽しいです!(笑)
とにかく、大阪のおばさんと韓国のおばさんとはいい勝負になりそうですね。
by ダウン (2009-12-25 17:07)
何というか…深夜に読んで爆笑してしまいました(^‐^;
噂に聞く大阪のおばちゃんそのものです!パワフル!
こんな風に振る舞えたらストレスなく生きられるだろうなぁ…。
でも、きっと無理だろうなぁ…(^‐^;
うちの祖母は大阪出身だったのですが、大人しい人だったので、
こういう豪快なところはなかったんですよね…。
by りる (2009-12-27 02:52)
台風一過、いえ、地震があったようなので直下型大地震かな(^^♪
(従姉妹さん、ごめんなさいm(__)m)
こてこての~の感じが何とも可笑しくて、大笑いしました。
母も末っ子だったので、母方の従姉妹たちも随分年上。
だから、私は未だに(この年になっても)○○子ちゃんと呼ばれます。
この時期だから、海外への郵便は遅れますと言われましたが、
ひとまずタイムリーな時に着いたようでヨカッタです(^^♪
by iharaja (2009-12-27 08:47)
STEALTHさん:
このずうずうしさが面白おかしく思えるのが、大阪のおばちゃんのいいところだと思っています。
まぐわささん:
確かに子ども扱いされている面もありましたが、あくまでも自分に都合よくというのがメインです。
まぐわささんが台湾でわたしを振り回す!うーん、一度経験してみたかったです。
ゴーパ1号さん:
親戚との付き合いなど普段はほとんどないのですが、時折このように嵐が舞い込んできます。ついていけない部分もありますが、結構面白かったりします。
たま母さん:
たま母さんまでわたしを振り回そうと思っていらっしゃったのですか!
では今度関西辺りで。
ぶなねこさん:
大阪のおばちゃんは自分の感情表現には素直なはずなのに、なぜか感謝の気持ちを表すことに慣れていません。ほとんどは照れ隠しなのだと思います。
べっこらさん:
親戚というのは普段は遠くにありながら、いきなりぐっと近づいてくるものですね。これをどう思うかは、それぞれだと思います。
将軍さん:
そうですね、ラーマメも大阪人のノリには面食らうかもしれません。が、普段からわたしの大阪弁を聞いているので、すでに免疫はできているはずです。
by 鯉三 (2010-01-03 00:59)
たいへーさん:
ええ、ゴロゴロいます。すごいところです。
もちろん、こんなふうではないおばさんもいますが。
ふじのしんさん:
わたしも大阪のおばちゃんは最強だと思っています。やはり商売人の家計を預かってきた歴史があるから、非常に現実的な発想と機転が生まれてくるのだと思います。
sweet_grassさん:
まったく人を子ども扱いしておきながら、そのくせ妙に自分の年齢にはこだわってみたりするのです。まあ、それがおばさんというものかもしれませんね。
びっけさん:
果たして株が上がったかどうかはわかりませんが、まあ大役を果たしたという思いでいっぱいです(笑)。
教訓、しかと受け止めました。ありがとうございます。以後注意したいと思います。
nekotaroさん:
そうですか、nekotaroさんも同じような経験がおありでしたか。それは災難なことでしたね。しかし、今思うと結構楽しい思い出です。
ダウンさん:
そうですね、韓国のおばちゃんのパワフルな感じは大阪のおばちゃんに通じるものがありますね。おばちゃんが元気な町というのはなんだか不思議な安心感があるように思えます。ああ、久しぶりに韓国のおばさんを見に行きたくなりました。
りるさん:
傍目にはまったくストレスを感じずに暮らしているように思える大阪のおばちゃんたちですが、実は若いときに苦労してきたからこそ、こういう吹っ切れたような明るさを生み出すような気がしています。そう考えると、人間というものは不思議で奥深いものだなと思います。
iharajaさん:
かなり大きな地震だったようですが、幸い1階にいたのであまり揺れを感じなかったのです。まあ、実際は地震どころではなかったというのが正直な感想です。ほんと、すごかったです。
クリスマス・カード、ありがとうございました。
ごんちゃんさん、りみこさん、鰯母さん、nice!をありがとうございます。
by 鯉三 (2010-01-05 23:15)