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古本屋の思い出(下) [本]

古本屋には番頭さんがいた。

本店が商人(あきんど)の町・船場にあるからなのか、店には番頭さんがいて、丁稚(でっち)にあたるバイトもいるのだった。とにかくかっぱ横丁「古書のまち」の中ではなんとなく敷居が高い古本屋であったことは確かだ。

バイトのわたしはこの番頭さんの人柄にひかれた。

旦那にあたる店長はとても気難しい人で、気に入らないことがあるとすぐに声を上げて怒った。店に客がいようといまいと、お構いなしに番頭さんに雷を落とすのだ。バイトのわたしも叱られたことはあるが、しょせん丁稚は丁稚なのでそんなに厳しくはされない。それでもたまに店長に叱られると、反省よりも先に向かっ腹が立つことが多く、“はよ帰ってくれへんかな、このおっさん!”などと心の中で悪態をついたものだ。

番頭さんは古本屋での長い仕事経験から、本について相当の知識をもっているようだったが、決してそれをひけらかすようなことはしなかった。それでもわたしが本のことについて尋ねると何でも丁寧に答えてくれた。普段は訪れる客も限られている古本屋ではひまな時間が多く、店長がいない時に番頭さんと話をするのが楽しかった。

 

鯉三:ひまですねー。

番頭:ひまやなー(笑)。

鯉三:いっつもこんなんですか。

番頭:まあ、大体こんなもんやな。古本屋の仕事はひまとの闘いみたいなもんやで(笑)。

 

と、まあそんなに会話らしい会話はせずに、黙って本棚の本の位置を整えたり、和綴じの本の糸を換えたりしている。番頭さんは時折り通路に面したガラス・ケースの展示を変えることがあったが、その配置がなんともいえず味があっていいなと思ったものだ。一日に何回か、ずっと立ったままのわたしを番台に座らせて本の修理などの作業をさせてくれた。本の包み方なども教えてくれた。適当に客もやってきて、たまに高い本が売れるとちょっと嬉しかったりした。特に印象に残っているのが、春画をまとめて買っていった老人のことだ。

一見してゆうに70歳は超えていそうな老人であったが、その風貌はなんとなく品があって服装もちょっと洒落ていた。その老人がわたしの座る番台に春画の版画を持ってきた。

 

“ああ!これももろとこか”

と、別の小さな春画の綴じ本を持ってきたと思ったら、

“やっぱり、これも包んでんか”

今度は明治初めの頃のかなり「現代的な」春画の綴じ本を手にして番台に戻ってきた。

 

鯉三:あの人、春画を集めてはるんですね。

番頭:(笑)。せやけど、あのじいさんがぽっくりいったらえらいこっちゃで。

鯉三:なんでですか。

番頭:あんなもん、いっぱい残されてみいな。家族のもん、どないしたらええのかわかれへんで。まさか捨てるわけにもいかへんしなあ。

 

古本屋の重要な仕事に古書の買取があるのだが、連絡のあった家まで出向き、故人の残した膨大な書籍を一日がかりで一冊一冊手にすることもあるそうだ。いわゆる鑑定だ。なるほど、確かに春画なんかがどっさり出てきたら、遺族はさぞかし困惑することだろう。

 

 

バイトを始めて半年が過ぎようとしていた。わたしはその春、韓国へ行くことになって古本屋のバイトをやめることを一ヶ月前に番頭さんに告げていた。いつものように閉店30分前に店長が店を出ていった。番頭さんが話しかけてきた。

 

“鯉三くん、店長の言うこと、そない気にしいなや”

 

前の日、和綴じ本の表紙の汚れを取る作業にてこずって店長にこっぴどく叱られた。わたしは黙っていた。もちろん、バイトをやめる理由は店長となんの関係もないのだが、その日一日、昨日の一件を引きずっていたのは確かだったのだ。

 

“前にいたバイトの子も、店長に腹を立ててやめてしもたんやけど、鯉三くんはもったいない。この仕事に向いてると思うてたんやけどなあ”

“店長はああ見えてもそんな悪い人やないねんで。まあ、確かに口は悪いけどな(笑)”

 

ああ、番頭さん。それは僕もわかっているんです。きっと店長はいい人だと。その証拠にこの店のことを番頭さんのあなたに全て任せているではないですか。

 

というようなことはもちろん言わなかったのだけれど、この番頭さんはいい人だなとつくづく思ったものだ。その後、番頭さんとは一二度メールでのやりとりをしたのだが、どちらからともなく音信が途絶えてしまった。今もあの店にいらっしゃるのだろうか...

 

毎年一回は帰国しているのに、なぜか「かっぱ横丁」だけ訪れていない。とても懐かしいのにちょっと恥ずかしい気持ちがまさって、二の足を踏み出せずにいるのだ。

(終)

 

ブンブン堂のグレちゃん―大阪古本屋バイト日記

ブンブン堂のグレちゃん―大阪古本屋バイト日記

  • 作者: グレゴリ青山
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2007/05/17
  • メディア: 単行本

追記:

学生時代から、ともにたくさんの古本屋を巡り歩いた友人S君にこのコミックを送ってもらいました。読み終えてからいつか古本屋の記事を書きたいと思いながら、思い出すことがあまりにも多く、ずいぶん時間がかかってしまいました。

S君、ありがとう。

近いうちに名古屋か台北?それとも大阪か京都?どこかで一杯やりましょう。

 


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コメント 24

くみみん

Merry Christmas♪
番頭さん、懐かしい響きですね♪
でも、こういう個人商店ってしっかり者の番頭さんが居ましたよね。
いまもいらっしゃるかなあ?
次回、帰られた時に寄られてはいかがでしょう?
でも、なんとなく照れくさいのもわかるなあ=^-^=
by くみみん (2007-12-25 21:28) 

たいへー

思い出は、いつでも心の支えになりますね。
良い思い出ならなお更です。
私も、昔よく通った居酒屋があるのですが、
今は疎遠です。 時の流れとは不思議なものですね。
あの頃の事を変えたくない・・というのも、
あるのかもしれない。
by たいへー (2007-12-26 09:17) 

りみこ

古本屋=店主が怖いというのは立派な公式のような気がします。
古書店街で叱られて客は育てられると、年上の方に言われた事もあります。
懐かしくそしてちょっと恥ずかしいのは分かる気がしますね。
何ともいえないもぞっとした感覚があって、あえて行けないみたいなw
変わっていて欲しくない気持ちもあるのかもしれないですね。
時間とは不思議なものです。
一期一会ですから、是非にもう一度行ってみられては?
またきっと良い出会いがあると思いますよw
by りみこ (2007-12-26 10:34) 

purimaro

素敵な思い出ですね!いつかまた、番頭さんと再開できたら良いですね^^
ご老人のお話もなんか良いなぁ~、きっとその古本がいつか巡り巡って
また古本屋さんに戻ってくるか、他の人の手に渡っていくのか・・一冊の
本にもいろんな人の想いに触れながら歴史を刻んで行くのですね^^
by purimaro (2007-12-26 11:05) 

鰯母

怖い店長さんに優しい番頭さん・・・この古本屋さんはなんだか
特別な時間が流れていそうな空間ですね。
もともと古本自体、人から人の手に流れていって、時間を越える
感じがあるのに、それが集まっている場所なんだから、
当然といえば当然なのかしら。
今でも同じ空気が流れているのでしょうか。
by 鰯母 (2007-12-26 18:27) 

ゴーパ1号

わたしも、この先、どこかの古本屋さんに立ち寄ることがあったら
鯉三さんのお話を思い出すのでしょうね。
そして、もし、かっぱ横丁を再び訪れることがありましたら、
ぜひ、お話を聞かせて下さい。
by ゴーパ1号 (2007-12-26 21:26) 

べっこら

古本屋さんには違う時の流れがあるように思っています。
漫画にも時代があっていいですが
いろいろな人の思いがたくさんつまった本は大事にしたいですね。
古本屋といえば私は神田を思い出します。
今度行ってみようかな
by べっこら (2007-12-26 21:42) 

ayou

古本屋さんのお話、楽しく読ませていただきました。
私も台湾へ来る前に、ある小さなお店で7年ほど働いていました。
店自体の歴史はそう古くないのですがちょっと変わったお店で、頑固で熱い社長と、お客さんから「番頭さん」と呼ばれていた人の下で私は働いていました。
私はデキが悪く、よく社長に(お客さんがいる前で)怒鳴られていました。とてもコワくて、その時は頭が真っ白になったっけ…
とか、
この社長、時にはお客さんを怒鳴って追い返してしまうこともあって、気が付くと店の隅の方で小さくなって「なんか、マズいとききちゃったかな…」とつぶやく常連さんがいたり…
なんて、当時のことを私も色々と思い出しました。
by ayou (2007-12-27 00:27) 

okinawa-fan

うーん、全部拝読して自分と本の関係についていろいろ考えて
しまいました。私は主に学生時代、勉強していた内容専門の古本屋に
通っていましたが、たまに神田まで遠征すると手の届かない高価なセット
を見ては「これ本物なのか・・・」などと眺めるだけでも満足でした。
でも、活字中毒気味の私も、今、本当に読むべき本は何で、
残すべき本は何なのか・・・とこの乱出版時代に思うこのごろです。
by okinawa-fan (2007-12-27 11:43) 

Buji

ふだんは知る事のない古本屋さんの仕事について、楽しく読ませて頂きました。
昔に比べると本の価値は、物としての価値より情報の質として量られる事の方が多いような気がしますが、ご紹介されたように本を書物として大切に扱う世界があるんだなと思うとなんだか安心してしまいます。

そもそも本というものが「読んだら終わり」ではなく、繰り返し使う(読む)ためにあるものなのだなと改めてそんな事を考えてしまいました。
by Buji (2007-12-27 13:07) 

coco030705

古本屋さんのお仕事って結構色々あるんですね。
鯉三さんはとてもいい時間を過ごされたんですね。
本に囲まれて過ごす時間って、素敵です。
お正月は本を読んで過ごそうと思いました。
かっぱ横丁にも機会があれば行こうと思いました。
by coco030705 (2007-12-27 18:25) 

椋木萌

本を愛し、本に囲まれて生きる古本屋さん。
前記事の店主さん、かっぱ横丁の番頭さん。
鯉三さんは青春時代にすばらしい方々と出会われたのですね。
そして、鯉三さん自身の本への想いも、ひしひしと伝わってきました。
本に関わる仕事をする者として、はたして、わたしはこれほどまでに本に愛情を抱いてきただろうか……
そんなことを考えさせられました。
「ブンブン堂のグレちゃん」おもしろそうですね。
by 椋木萌 (2007-12-28 11:31) 

sweet_grass2006

こんにちは。いいお話ですね。
今の日本では、段々、そういった古本屋さんが減ってきているのが、とても残念な気がします。私も、以前よりも本を読まなくなってきているので、
この冬は買いだめているものを読んでみようかと思います。
by sweet_grass2006 (2007-12-28 21:33) 

花火師

いい思い出ですね。
今度是非行ってみてくださいよ!いろいろ変わってるところもあると思うし・・・それはそれ!あるとき夢に出てくる なんてことがあったら悔いも残るだろうし・・・
by 花火師 (2007-12-29 03:08) 

gillman

ぼくは会社から近かったこともあって神田の古本屋街には週に一度くらい行っていましたが、段々と店の数が減ってきたのが寂しいです。
by gillman (2007-12-29 21:40) 

鯉三

kumiminさん:
番頭さん、今もいらっしゃるのではないかと思います。
大阪や京都の老舗の商店は昔から徒弟関係を重んじてきたのでしょうね。さすがにそういうのは減ってきたような気がします。

たいへーさん:
過去でつながっている幸福な記憶を、無理やり現在にすり合わせて壊してしまうのはやはり残念なことです。幸福な記憶はそのままにとっておきたいものですね。

りみこさん:
そうですね。古書店のおやじはちょっと怖くて、よくいえば頑固者なのでしょうね。そうでなければやっていけない仕事だとも思います。
今度帰省した時、できれば店長がいない時間(笑)を選んで行ってみたいと思っています。

Balloonさん:
本も旅をしているのでしょうか。いろいろなところへ行ったり、あるいは戻ったりしながら、人の手から人の手へ渡っていくのですね。そういう物は世の中で意外と少ないような気がします。単なる消費物ではないからなのでしょうね。
by 鯉三 (2007-12-30 02:05) 

鯉三

鰯母さん:
なるほど、確かに古本屋は本を通していろいろな人々の思いが集まるところなのかもしれませんね。そう考えると、短い間でしたが貴重な経験を
させてもらったような気がします。もっと、そういうことも考えてまじめに仕事をすればよかったかもしれないと反省しています。

ゴーパ1号さん:
古本屋の魅力について、あまり深く考察できなかったことが残念です。でも所詮自分の記憶なんてそんなものです。古本屋へ足を運ぶ人々それぞれの大切な時間であればそれでいいのだと思います。

べっこらさん:
わたしも東京へ行った折は必ず神保町へ行ったものです。そこで丸一日を過ごすことが普通で、それなしでの東京訪問などありえませんでした。関東にお住まいの方が羨ましいかぎりです。

ayouさん:
いやー、奇遇というか偶然というか...
ayouさんとはまだお会いしたこともないのに、古本屋でお仕事をなさっていたと知ってとても驚いています。不思議なものですね。
古本屋のおやじが客の前で怒鳴り散らすあの心がしれません(笑)。客をも怒らせてしまうこと、よくありましたよ。昔の商売人はみんな体を張っていたんでしょうね。
by 鯉三 (2007-12-30 02:44) 

蟹道楽

学生時代、バイト先で”魅かれる人”に出会うことは多いですよね。
特に学生時代はよい社会勉強になりますね。
鯉三さんのほのぼのとした、暖かい想い出話が心にしみました。
以前、僕のブログで教えて頂いた”春画をこっそり見せてもらった”というお店のことでしょうね!

古物商では”価値を見抜く目”と”いかに需要があるか”の2つが重要なポイントでしょうが、あのビジネスモデルがどうも不思議です。
>>古本屋の仕事はひまとの闘いみたいなもんやで
古本屋、中古レコード屋、骨董屋等々・・・
何故、バイトを雇ってまで利益があがるのか?
数%の利益を追っている一般企業の我々社員は暇も無く働いています・・・・・(笑)
やっぱ、中古レコード屋のオヤジがエエのでしょうか?
ただし、僕が中古レコード屋をやったら商品を売る事が出来ずに商売にならないでしょうね!
by 蟹道楽 (2007-12-30 11:24) 

iharaja

>とても懐かしいのにちょっと恥ずかしい気持ちがまさって・・・
この気持ちはわかる気がします。もし、変わっていたらと思うこともありますし。

上京の度に、学生の頃に暮らした下宿に行こうと思えば行けたのに、
なかなか行けずにいました。バイト先のコーヒー店にも行けなかった。
かなりの時間が経って、ようやく行った時は街の様子が変わってしまい、
下宿はマンションに、コーヒー店はファッションビルになっていました。
もう数年早く来ていればと思ったものです。

古本屋ではありませんが、下宿のあった渋谷にストライキをする書店が
あったのです。面白いでしょ。4~5階建てだったかなぁ。
よく行ってましたが、もう、その書店もありません。
なんだか、懐かしい記憶の引き出しを開けてもらったような気がします。
by iharaja (2007-12-30 16:11) 

鯉三

okinawa-fanさん:
東京は神田があるからいいですね。わたしも東京へ行った折は必ず立ち寄っています。近くの店でコーヒーを飲んだり、食事をしたりするのも好きです。
本はこれからどうなるのでしょうか。行く末が心配です。かつてあんなに本に執着していた自分がPCなどに向かい始め、本を顧みなくなっています。とても心配です。

ふじのしんさん:
本は装丁やデザイン、活字の組み打ちなど、作り手の思いがこもった一つの作品です。台湾では残念ながらそういった文化はありません。おっしゃるとおり、情報の質だけに関心が向けられているようです。別にそれは悪いことではないし、本来、本とはそういうものだと思うのですが。やはりちょっと寂しい感じがします。

ココさん:
ココさんにとっても、かっぱ横丁は魅力ある場所だったようですね。映画を観て帰りに歩くのに楽しい通りですよね。でもその界隈もすっかり変わってしまったようで残念です。わたしも次回の帰国時に行ってみようと思っています。

椋木萌さん:
本との関わりはずっと昔からあるのですが、今回記事にしたことは青春をちょっと過ぎた頃の話なので、ちょっと恥ずかしい気もします。いつまでそんな夢を追っているのか、と。
萌さんも本に関わるお仕事でしたよね。わたし自身は本との関係はもうすっかり疎遠になってしまったのですが、いつまでも色あせない記憶として生き続けてくれることと信じています。

sweet_grassさん:
本のためにわざわざ時間を取ることが少なくなりましたよね。別に昔に比べて今の生活に余裕がないわけではないと思うのですが、やはり生活スタイルの変化があるのでしょうね。わたしもたまっている本を一冊一冊丁寧に読んでいこうかと思っています。

花火師さん:
はい、今度行ってみます。
行ってみれば別に大したことではないと思うのですが。こうやって書いてみて、逆に構えてしまいそうな気もしています(苦笑)。

gillmanさん:
そうですか、神田の古書店が減ってきているのですか。
それは本当に残念なことです。
神田こそが、日本の古書文化の最後の砦なのに...

蟹道楽さん:
春画のエピソード、おっしゃるとおりです。覚えていてくださって嬉しいです。しかし、あまりネタにすべきことでもないのでこのへんで。
実は古書店のバイトの話は学生時代のものではありません。お恥ずかしいかぎりです。それでも懐かしい思い出には変わらないので記事にしてみました。

古本屋にしても骨董品屋にしても、やはり得意分野を持つことが必要だと思います。ジャンルに関係なく何でも買い取ってしまう店は長続きしないようです。どんなに限られた分野でも需要はあるので、そういうお客さんを相手に細く長く商売をやっていくことが大切なのだと思います。やはり儲けは二の次でしょう。

iharajaさん:
東京で学生時代を過ごされたのですね。東京などは想像以上に町の変化が激しいのではないでしょうか。そういう変わってしまった光景を目の前にするとなんともいえない気分になりますね。わたしも経験があります。しかし、思いではやはり思い出。自分の記憶の中に大切にしまっておくのが一番だと思います。

>渋谷にストライキをする書店があったのです。

おもしろいですね。時代を感じさせますが、京都にもありましたよ。わたしがよく通った書店の名前など学生運動の名残りを色濃くとどめていたものです。店員もなぜか年中マスクをしていたし(笑)。ああ、懐かしいです。


mitukiさん、nice!をありがとうございます。
by 鯉三 (2007-12-30 17:22) 

tano

古本屋さんのお話、楽しく読ませていただきました。
古本屋の主人は、気難しい人が多いってイメージだけど
鯉三さんは、そのお店でいい出会いもあったのですね。
古書の紙の匂い(カビじゃないですよっw)と共に、
懐かしい人との思い出がよみがえるっていいですね。
そしてあの冒頭の夢想。
あの情景のようなドラマチックなのもいいけど、
陽だまりの中で春画を開いたまま、コトリと逝くのもいいなあって思いました(笑
あ、私は一冊も持ってないけどねw
by tano (2007-12-31 07:06) 

鯉三

tanoさん:
古本屋を知る人からみれば、薄っぺらい内容のものになりましたが、それでも懐かしい思い出なので書いてみました。そういえば、古本屋の匂いは本当に独特ですよね。当然といえば当然ですが、新刊本が並ぶ書店とは全く違いますよね。きっと、人の記憶が匂いとなって混ざっているのだと思います。そういう場所は珍しいですね。

春画、わたしも持っていません(念のため)。
ああいうものは家に置いておけません。
by 鯉三 (2007-12-31 20:38) 

seita

感銘を受けました。

高校生の頃、活字中毒のピークを迎えた私は、図書館に行くたびに絶望感に襲われました。「100歳まで生きたとしても、このうちのどれだけを読破することができるのだろう」と。今はそんな気概も忘れ、書きなぐられたネット上の文章に無駄な時間を過ごすことも多いのですが、神田の古書街やかっぱ横丁の前を通るとわくわくします。絶版になったハヤカワのSFやミステリを探しながら何軒もはしごした記憶が蘇り、「もっと本との大切な時間を過ごそう」と思い直します。

素晴らしい日記をありがとうございます。
よい新年をお迎えください。
by seita (2007-12-31 21:00) 

鯉三

seitaさん:
ネット上の文章を読むという行為は一体どういうものなのでしょうか。最近わたし自身もそれで一応は「活字を追っている」みたいに落ち着いてしまっているような気がするのです。とにかく今まで経験したことがない領域に入ってしまっています。音楽にしてもそうなのですが、簡単にダウンロードできてしまうと出会いの感動が半減してしてしまっているような気がしてなりません。

いずれにしても、読者やリスナーとして受け止める側の許容量や感性みたいなものはそれほど変わっていないはずです。なんだかついていけてない。そんな気がしてならないのです。今年はそんなことを見つめてみようかと思っています。
by 鯉三 (2008-01-02 01:58) 

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