『おくりびと』 涙は本能 [映画]
映画『おくりびと』を観た。
これで二回目だ。
一ヶ月前から台湾の若い人たちとこの映画を一緒に観ようという計画を立てていたのだが、「泣ける映画」ということだったので彼らに泣いているところを見せるわけにはいかないと思って、予行演習をかねて事前に一人で観ていたのだった。その時は平日のガラ空きの映画館だったので周りを気にすることはなかったが、自分でも呆れるほど泣いてしまった。いや、正確に言うと涙が止まらなかった。頭で考えるヒマもなく、じんわりと感情が高ぶるのを待つまでもなく、気がついたら涙がこぼれ落ちていたのだ。ちょうど映画のラストシーンで本木雅弘の瞳から涙がこぼれる落ちるのと同じように、あふれ出る涙を止めることができなかった。
結局、「泣かないための練習」は無駄なものだと思った。
そして今晩、『おくりびと』二回目を迎えたのだが、さすがに内容を知っていることもあってか冷静に映画を観ることができた。またこの日は満員で、前から二番目の座席に座っていたのでスクリーンと向き合うのに首がつらく、何度も姿勢を直したりしているうちに感情をコントロールできたのかもしれない。しかし、それでもラストはやっぱりどうしようもなかった。
映画が終わった後、一緒に観た若い人たちは「誰が泣いた、誰が泣かなかった」という話題でキャッキャと騒いでいた。そう、彼らはまだ若い。中にはわたしの年齢の半分にも満たない子もいる。年齢だけでなく、まだ今まで家族や大切な人を亡くしたことがない人もいることだろう。やがてそういう日がやってくることを想像することもなく明るく暮らしている彼らに、そのことを問いかけてみても無理なことなのかもしれない。それは何一つ悪いことなどではなく、むしろ幸せなことなのだから。
『おくりびと』という映画は決して悲しい映画ではない。
もちろん納棺という儀式は故人と向き合う時間だし、そこに映画を観る人の個人的な記憶などが重なってくるとなかなかつらいものがある。しかし死者のすぐ横に残されて、その人の不在を受け止めて生きていかなければいけない人々の姿がしっかり描かれていた。それがとても素晴らしいと思った。生きることの象徴でもある人間の性欲も食欲も、死とすぐ隣り合わせの場所で営まれているものなのだ。理屈ではない。それが人というものなのだから。
だから、涙が出たのだ。
感情ではなく、本能で涙したのだ。
映画鑑賞後にみんなで食事した。
久しぶりに食べたボリュームたっぷりの洋食。
若い彼らに負けず、わたしもいっぱい頬張った。
料理もビールもうまかった。
これで二回目だ。
一ヶ月前から台湾の若い人たちとこの映画を一緒に観ようという計画を立てていたのだが、「泣ける映画」ということだったので彼らに泣いているところを見せるわけにはいかないと思って、予行演習をかねて事前に一人で観ていたのだった。その時は平日のガラ空きの映画館だったので周りを気にすることはなかったが、自分でも呆れるほど泣いてしまった。いや、正確に言うと涙が止まらなかった。頭で考えるヒマもなく、じんわりと感情が高ぶるのを待つまでもなく、気がついたら涙がこぼれ落ちていたのだ。ちょうど映画のラストシーンで本木雅弘の瞳から涙がこぼれる落ちるのと同じように、あふれ出る涙を止めることができなかった。
結局、「泣かないための練習」は無駄なものだと思った。
そして今晩、『おくりびと』二回目を迎えたのだが、さすがに内容を知っていることもあってか冷静に映画を観ることができた。またこの日は満員で、前から二番目の座席に座っていたのでスクリーンと向き合うのに首がつらく、何度も姿勢を直したりしているうちに感情をコントロールできたのかもしれない。しかし、それでもラストはやっぱりどうしようもなかった。
映画が終わった後、一緒に観た若い人たちは「誰が泣いた、誰が泣かなかった」という話題でキャッキャと騒いでいた。そう、彼らはまだ若い。中にはわたしの年齢の半分にも満たない子もいる。年齢だけでなく、まだ今まで家族や大切な人を亡くしたことがない人もいることだろう。やがてそういう日がやってくることを想像することもなく明るく暮らしている彼らに、そのことを問いかけてみても無理なことなのかもしれない。それは何一つ悪いことなどではなく、むしろ幸せなことなのだから。
『おくりびと』という映画は決して悲しい映画ではない。
もちろん納棺という儀式は故人と向き合う時間だし、そこに映画を観る人の個人的な記憶などが重なってくるとなかなかつらいものがある。しかし死者のすぐ横に残されて、その人の不在を受け止めて生きていかなければいけない人々の姿がしっかり描かれていた。それがとても素晴らしいと思った。生きることの象徴でもある人間の性欲も食欲も、死とすぐ隣り合わせの場所で営まれているものなのだ。理屈ではない。それが人というものなのだから。
だから、涙が出たのだ。
感情ではなく、本能で涙したのだ。
映画鑑賞後にみんなで食事した。
久しぶりに食べたボリュームたっぷりの洋食。
若い彼らに負けず、わたしもいっぱい頬張った。
料理もビールもうまかった。
私も昨年秋に見ました。一人暮らしをはじめて、めっぽう涙もろくなった妹と一緒に。
笑ったり泣いたりと忙しかったです^^;
涙は、そう、理屈ではないのですよね。
by ゴーパ1号 (2009-03-23 09:22)
まだ見てません・・・というかきっと凄く泣いちゃうだろうと思って
家で見ようと思っています。
泣くことは本能ですか。そうなのかもしれませんね。
そして癒されていくのでしょうね。
by りみこ (2009-03-23 11:48)
う~ん!私は見ないでおきます^^;
by まぐろとわさび (2009-03-23 13:57)
私は大好きだった祖父母のことをものすごく思い出してしまいました。
でも仰るとおり、悲しいわけじゃないんですよね。とても不思議な気持ちになりました。
by STEALTH (2009-03-23 15:46)
泣かないように事前に一人で練習するなんて!
殿方のかわいらしいところなんでしょうか。(失礼!)
by 鰯母 (2009-03-23 18:29)
きっと、「日本の感覚」を思い出したのでしょう。
私も最近、さしたる理由がなくても
泣ける場合があります。
日常のありふれた場面なんですけどね。(汗
by たいへー (2009-03-23 21:56)
私も2回観ました。
わいを亡くしてちょうど1週間後、父の命日の直前でした。
とてもよかったです。泣きましたが、それは思い出して悲しくなったからではありません。逆に観終わってとても軽やかな気持ちになりました。
ずっと心の中にあった重くて苦しい思いをそっと取り除いてもらったような…
観てよかったです。
仕事に対する姿勢というものについても考えさせられました。
ちなみにこの物語を作りきっかけになったという『納棺夫日記』を今読んでいるところです。おすすめです。
by ayou (2009-03-23 22:55)
まだ見ていないのですが・・・
泣きに行きましょうかね
by 花火師 (2009-03-24 02:19)
まだ見てませんが、見たらものすごく泣くでしょう、きっと。^^;
でも機会があれば見たいですね。
私にとって言葉にできないくらい悲しいと感じた「死」は、
捨てられた犬や猫が頼るところを全部失ったまま安楽死されることです。
淋しく死んでいく動物たちをたくさん見て、人間の「死」はそれに比べると祝福されていて、それほど淋しくないなと思いました。
by ダウン (2009-03-24 10:48)
まだ見ていませんがいい映画だったとみた友人は言っていました。
仕事柄人の死にたちあう事が多かったので
いつも流れ作業的な機械のような対応はよそう
慣れる事は怖いなと思っていました。
年齢を重ねた今は若いときに感じた思いは私にとって良かったと思います
by べっこら (2009-03-24 11:14)
感情でなく本能で、というところはちょっと考えてしまいました。
自分はドキュメンタリーや音楽で涙を流す事がかなり多いのですが、悲しさからというわけではなく、人の自己犠牲的な行為や音楽などの美しさに触れて(畏怖して)という事が多いような気がします。
改めて考えてみると「泣く」事って不思議な行為ですね。
by ふじのしん (2009-03-24 18:05)
ゴーパ1号さん:
笑えるシーンも多かったですね。山崎努の演じる人物像がかなりユニークでした。理屈で泣くことはちょっと難しいですね。
りみこさん:
大きな声で泣いて、そして笑える子どもが一番幸せなのかもしれません。大人は普段人前で泣けないので、苦しみも悲しみも喜びもなかなか昇華されませんね。
まぐわささん:
いつか時間も心も余裕ができた時にでもご覧になってください。わたしも以前だったらこの映画を観るのはためらったと思います。
STEALTHさん:
悲しいという感じはなかったですね。なにか心の中のものが浄化されていくような、そんな感じがしました。
鰯母さん:
昔から映画や音楽には魂を揺さぶられることがおおいです。もちろん、年をとって涙もろくなったこともあります(笑)。
たいへーさん:
わたしもそうです。日常のありふれた光景を眺めているうちにジーンとしてくることが多いです。そういうもののありがたさを思い知る世の中になったからでしょうか。
ayouさん:
ayouさんも二回ご覧になりましたか。二回目も深い感動を覚えました。映画の芸術性という点ではそれほど優れているとは思いませんが、しっかり一つのテーマがあって訴えかけてくるものがありましたね。『納棺夫日記』は帰国時に買おうと思っています。
花火師さん:
どうぞ、泣いてきてください(笑)。
そういう時間も必要だと思います。
ダウンさん:
韓国では上映されているのでしょうか。ぜひご覧ください。動物の死についても考えさせられました。本来動物は自由にその生を全うできたのに、人との暮らしの中でそうではなくなってきたと思います。人間の生活は野生動物たちにも深い影響を与えていますし、そういうことをまずは身近なところから考えていきたいと思っています。
べっこらさん:
お仕事の中でいろいろな体験をされたのでしょうか。そういったことを振り返れるようになったというのは、それはまたそれでいいことなのではないでしょうか。いい映画ですので、ぜひご覧になってください。
ふじのしんさん:
わたしも映画や音楽で涙することが多いのですが、ストーリーやメロディという表面的な部分で心打たれるということはとても少なく、たぶん何か自分だけの感覚でピンポイントで受け止めるものがあるのです。アーティストの言葉にできなかった叫びのようなものに反応してしまうからでしょうか。だから、うまく言葉では説明できませんね。
COCOさん、溺愛猫的女人さん、nice!をありがとうございます。
by 鯉三 (2009-03-29 21:36)
韓国でも上映されていますね!なぜか再上映と書いてあるんです。
映画のタイトルが「굿' 바이: Good & Bye」になっているのが面白いですね。
有名な方が音楽を担当していますね。久石讓…。
たぶん音楽を聞いてもすぐ泣きそうです。^^;
今度主人と一緒に見ます!
by ダウン (2009-04-01 09:53)
ダウンさん:
『おくりびと』は日本でも最近再上映されたばかりだそうです。アメリカのアカデミー外国語映画賞受賞がなければ、そのまま人々に知られることのない作品だったかもしれません。
この映画は決して難しい映画ではないので、きっとどこの国の人でも分かってもらえると思います。日本の伝統的文化や習慣を強調したものではありません。この世界に生きる一人間として、とてもシンプルで、しかしとても力強いメッセージを受け取ったと思っています。
by 鯉三 (2009-04-02 00:33)
静謐のなかにユーモアがあるいい映画でしたね。ずいぶん前にみたのですが、本木さんの所作の美しさが印象に残っています。
私は、公開されてすぐに見たのですが、映画館は団塊の世代以上の観客で埋まっていました。笑いのツボが彼等とズレる自分。アウェーな気分になったり、それでいいと思ったり(笑)
by ももこ (2009-04-04 10:25)
好い話だ。
by gillman (2009-04-05 16:53)
こんばんは。
予行演習…していても泣けちゃうんですね♪
この映画見ようと思うんですけど、DVDかなあ?そんなに泣けるんじゃ家で思う存分泣いちゃおう=^^=
こういう状況をたんたんと美しく描かれると泣けますよね。
by kumimin (2009-04-06 00:55)
ももこさん:
この映画にあるユーモアは結構シビアでありながら笑えるんですよね。わたしはタコを海に放すシーンがとても印象に残っています。
台湾でも年配の客層が目立ちました。一緒に観た若い人にとっては、「感動的な物語」ということでしたが、わたしやわたしよりも年配の人たちはきっと違った受け止め方をしたことと思います。
gillmanさん:
おかげさまで、わたしにとっても貴重な時間になりました。
kumiminさん:
予行演習はまったく無意味でした(笑)。でもいい映画を二回観てよかったです。家で観るのもいいでしょうね。台湾でもたぶんDVD化されると思うので、その時は買って家で観ます。
by 鯉三 (2009-04-11 22:51)
実は「おくりびと」、個人的に色々縁がある作品で。
社会人になったばかりの勤め先で、たまたま原作の作者さんとお話しする機会があったり、撮影のロケ地が祖母の出身地だったりと。
なので、アカデミー賞見ながら念を送ってました(笑)
そんな訳で、一人静かに自宅で鑑賞の予定です。大泣きできるように。
by shiela (2009-04-17 20:37)
shielaさん:
そうだったのですか。まだご覧になっていないようですが、本当にshielaさんと縁のある映画なのですね。素晴らしい映画でしたよ。わたしも個人的な経験など、いろいろと思い出すことが多く、いまだに余韻を引きずっております。
by 鯉三 (2009-04-19 19:26)