見逃した映画がやってくる! [映画]
日本に住んでいた時に見逃した映画。
その多くは単館ロードショーだったもので、
本当に「見逃したら最後」というものばかりでした。
DVDを買えば、いつでも好きな時に見られるでしょうが、いわゆるミニシアター系の映画は製作数も限られており、かなり高価。それよりも何よりも、映画は暗闇の中で対峙してこそ、その世界に入っていけるものです。今頃、こんなアナクロな意見は恥ずかしいのですが、過去にすれ違った作品と、??年かを経て映画館で出会えそうなので、わくわくしています。
The Imprint of Sound 「馨音的痕跡」影像V.S音楽影展
2006.5.26~7.9 於:台北・桃園・台中・高雄
http://www.twfilm.org/sound/
音楽にかかわる映画、主にドキュメンタリー作品を集めた映画会です。
この間、かなりマニアックな記事が増えるかと思いますが、どうかお許しください。
《見逃した映画で今回どうしても見たい映画》
・ダニエル・シュミット監督:トスカの接吻
・ジャン・リュック・ゴダール監督:One Plus One-Sympathy for the Devil
・ジョン・カサヴェテス監督:Shadows
《ぜひ見てみたい映画》
・Nicolas Humbert-Werner Penzel:Step Across the Border(ドイツ・スイス)
・Gerard Caillat:Passion Callas(フランス)
・Mika Kaurismaki:Moro no Brasil(ドイツ・ブラジル・フィンランド)
・Wim Wenders:The Soul of A Man(ドイツ・アメリカ)
・Bruno Monsaingeon:Glenn Gould Hereafter(フランス)
・Johan van der Keuken:Big Ben:Ben Webster in Europe(オランダ)
(見事に知らない作品ばかり...)
いやー、こうやってリストにするなんて学生以来!
幸せだなあ...
週末の時間をうまく利用して全部見るぞ!
(ラーのことも書くからね!)
そして彼女はまた泣いた 「緑の光線」 [映画]
フランス映画を見ていてよく思うことがあります。
「しかしまぁ、よくしゃべること...」
登場人物は老若男女を問わず、しゃべりっぱなし。
こちらはフランス語がわからないので、ひたすら字幕を追いかけるしかありません。字幕も必死に彼らの会話についていくのですが、読む側は更に必死で、劇場で思わず声を出して読んでしまったこともあるくらいです。恥ずかしいのなんのって...
エリック・ロメール監督「緑の光線」も会話のスピードがとても速くて、初めて見た時は最初「これは、まいったなあ」と思いました。しかし、夏のヴァカンスを迎える人々の会話はとても単純で、一言一句を追いかけるようなものではありません。次第に会話の内容は勝手に耳に流れ込むようになり、関心はもっぱら主人公の女性・デルフィーヌだけに向けられるようになっていきました。
このデルフィーヌ、本当に不器用な人で、見ていて痛々しいくらい。
性格も素直とは言えないし、思うようにいかないとすぐ泣き出し、周りの人々の気遣いすら振り切ってしまう始末。普通に「ただの困ったさん」なのですが...
それでもなぜか物語終盤には、「よし!ここまできたら、とことんいけよ!」と、見る側もすっかりデルフィーヌのひねくれ具合に感化されていました。そして、あのラストシーンへ...
出会った男性がハンサムでなくても、相手の読んでいる本が気になった(実はそんなことあってはいけないようにも思うけど)ところから出会いが動き出すというのは、このデルフィーヌ、そしてこの映画を見て感情移入をしてしまった、おそらく同じように不器用な人には納得だと思います。わたしがそうでした。
映画のタイトルでもあるラストシーン。
その感動は、これからも語り継がれていくことでしょう。
宜蘭・北關から亀山島をのぞむ
追記:「緑の光線」のDVDは、他の作品とのセット売りになっており、とても高価なのでおすすめできません。いわゆる巨匠と呼ばれる映画監督の作品は最近ほとんどBOX版。単純に個々の作品を楽しみたい者には非常に不合理だと思います。
「泥の河」 [映画]
最近のNHK・BS映画劇場は、どんなラインナップなのだろうか。
過去にはいい映画をたくさんVHSで録画させてもらったものだ。
その中のひとつが「泥の河」。
原作は宮本輝の小説。
宮本輝の幼少期をモチーフにした作品は、戦後の大阪や兵庫県の町を舞台にしたものが多く、
個人的に、亡くなった父の記憶と重なって懐かしく思うものが多い。
そういう感傷抜きでも、作品はとても優れているので宮本輝という作家が好きだ。
この作品を映画化したのは小栗康平。
大変寡作な監督だが、どの作品も取り組む原作やテーマへの思い入れが感じられる。
「泥の河」は全編モノクロで撮影されているが、この映画は確かにモノクロでしか表現できなかったように思う。夏のうだるような暑さ。食堂に集まる労働者の顔や彼らのランニングシャツをどす黒く濡らす汗。
物語を紡ごうとする役者たちの真摯な姿はすがすがしくもある。
そして、忘れてはならないのが主人公の子供たち。
お小遣いをもらって祭りに出かける子供たちの高揚感、その後に間をおかずしておとずれる絶望感。ただただ、痛切としかいいようのない、現実の残酷さ。
まるでぜんまい仕掛けのおもちゃのねじが切れたように感情が揺さぶられ、涙が止まらなかった。
付け加えたいのが、マルセ太郎という稀有な芸人がこの映画を一人語りで演じてしまったこと。
わたしは結局、生(なま)で目撃できなかった(NHKのテレビ中継では見た)。大学時代の友人が熱く彼のことを語ってくれたことを思い出す。
この作品には、人に語らずにはいられない、何か普遍的なテーマがあるのかもしれない。
「シャイニング」の衝撃 ④ [映画]
「シャイニング」の記事はこれが最後です。
何度も作品を見直して、かなり映画の世界に入り込んでしまいました。
それでもまだこの映画について語れるとは思えません。
あくまでも断片についてであり、断片だからこそ正しく伝えられたらと思って書いてきました。
“つまり何かあると その跡が残るものだ トースト一枚焼いても においが残る
出来事によっては 特別の跡を残すこともある”
セリフが気に入っているシーンです。
シャイニング=輝ける人(この映画では超能力者)二人が出会うシーンなのですが、
彼らが直接言葉を交わすのはこれだけです。この映画のメッセージにもなる「記憶」というものについて示唆深い言葉が残されます。記憶とは人間だけのものではないのですね。
バーボン(正確にはテネシーウイスキーのジャック・ダニエル)の味わい方。
理想的なバー・テンダーのあり方。
酒飲みとしては思わず反応してしまう場面です。
映画の力を改めて思い知らされた作品でした。
しばらくは日常の生活に戻って、書き進めていこうと思います。
(ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました)
「シャイニング」の衝撃 ③ [映画]
キューブリック監督の最もセンセーショナルな作品は「時計仕掛けのオレンジ」だ。
その暴力的な描写は見るものを唖然とさせたが、同時に近未来を思わせるシュールなファッション感覚と映像のとりこになった人も多いだろう。わたしはとりこにこそならなかったものの、スタンリー・キューブリックという映像作家の特異性を大いに実感した。それは「シャイニング」において更に再確認させられることになる。
映画の中の恐怖を呼び起こすさまざまな仕掛けは、時にシュールでありユニークでもある。
同じ文句を延々とタイプした原稿の束。
狂気に触れる瞬間でありながら、なぜか笑いそうになるシーンだ。
クライマックス、ホテルに巣食う亡霊たちがそこかしこに現れる。ところが彼らは人を驚かすために現れたようには見えない。それどころか、ふざけているように見える。気ぐるみの男(?)と二枚目の男が抱き合う。額から血を流した男がウイスキーの入ったグラスをかかげて微笑む。まったくふざけていて、シュールなのだが、そのわけのわからなさが言いようのない恐怖を誘う。
こういう映像はどこかシンディ・シャーマンの写真に似ている。
シュールで不気味な感覚。ユニークでありながら、取りつくことができず奈落の底に落とされるような怖さ。
これこそ、映像作家キューブリックの真骨頂であることは間違いない。
次回は個人的に気に入っている場面の一つを紹介します。
「シャイニング」の衝撃 ② [映画]
今日は228和平祈念日で仕事は休み。
いよいよ「シャイニング」を見る。
見るのは初めてじゃないのに、どうしても構えてしまう。
この映画、ホラー映画というくくりだけでは語れない。
もちろんホラーとしても完成度は高く、人を恐怖に陥れる仕掛けがたくさん盛り込まれている。
その仕掛けが他の映画と一線を画している。
まずは、やはりジャック・ニコルソン。
「顔面でホラーする男」と言われたが、本当にものすごく怖い顔だ。
彼は大スターだが、この映画以降のどの出演作を見ても、ちょっとした表情に「シャイニング」を見てしまうのは自分だけだろうか。そう思ってしまうほど、全身全霊を傾けた彼の役作りは徹底していて凄みを感じさせる。
妻を演じるシェリー・デュバールの恐怖におびえる顔もすごい。
DVDにはメイキングもあり、撮影中に演出をめぐって彼女がキューブリック監督と何度も衝突する場面があった。彼女自身が打ち明けるように、キューブリック監督はその衝突の中から生まれる怒りや不安を映画に反映させたに違いない。
音響効果も恐怖を倍増させている。
映画を二回目に見る人は、おどろおどろしい音楽とともにオープニングのクレジットが出てくるところでもう体を硬くしてしまうだろうし、息子のダニーがホテルのどこまでも続く廊下を三輪車のゴーカートで走るシーンでは、その車輪が床を転がる音に息を潜めてしまうだろう。
他にもさまざまな仕掛けがあり、どれも絶妙の効果を生んでいる。
それらについては次回に。
「シャイニング」の衝撃 ① [映画]
オリジナル予告編。映画を見た人なら次に何が来るかは…
友人から「シャイニング」のDVDを借りる。
劇場でも繰り返し見た映画だ。
ビデオにしてもDVDにしても、2時間家で集中して見るのはなかなか大変だ。
まずは予告編を見る。
予告編を見終えて、すっかりなえてしまった。
本編は後日、気持ちを整えてから見よう。
マルグリット・デュラス「INDIA SONG」 [映画]
Lost In Translation [映画]
この映画が作品として成功したのはもちろん、ビル・マーレーの演技。
学生時代に仲間内で、ロマン・ポランスキー監督の「フランティック」に主演したハリソン・フォードをめぐって議論した時、二枚目のハリソン・フォードしか念頭にない人は一様に渋い顔をしたのを思い出しました。同様に、ビル・マーレーを単なる喜劇俳優で語ってしまったら、ただの「おとぼけおじさん」に落ち着いてしまいますが、この映画のマーレーはまさしく彼そのものと思わせるほど、映画にはまっています。
しかし、もっとも気に入っているのはS.コッポラ監督の趣味。
映像、音楽は言うに及ばず。
主人公の二人がホテルの一室で吟醸酒(おそらく)を飲みながら、フェリーニの「甘い生活」を見ている。カラオケ・ボックスでマーレーがロキシー・ミュージックのMore Than Thisを歌う。藤井隆が吉本デビュー時を彷彿とさせるエキセントリックな役作りに徹しているなど、個人的には過剰に反応してしまうシーンが多くて、どうしようかと思いました。