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ボージョレー・ヌーヴォー [酒]

今年もボージョレー・ヌーヴォーを。


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一番安いのにしましたが、おいしかったです。

日本ではペット・ボトルのものが売り出されているそうですが、
それは駐日フランス大使でなくても困惑します。
ワインはやっぱりコルクの蓋の瓶詰めでお願いします。

日本酒や焼酎の紙パックもやめてほしいと思います。
といいつつ、時々買っていますが...

ハイネケンのCM [酒]

今年も台風の季節がやってきました。
木曜日の午後に警報が出て、金曜日は仕事が休みになりました。

その帰宅途中、MRT(台北の地下鉄)の駅で電車を待っていると、プラットフォームに設置されているモニターに、あるCMの映像が流れました。先日このCMについて同僚たちと「あのコマーシャル、おもしろいよね」と話したばかりだったので、じっと眺めていると、前に並んでいた若いカップルがモニターを指差し、「ああ、これおもしろいよね!」と楽しそうに話していました。

短いCMが終わると同時に、電車がフォームに入ってきました。
そのCMを見ていた乗客たちは、みんなにっこり笑いながら電車に乗り込んだのです。
CMがよかったのですが、日々の生活で「ああ、こういうの、いいな」と思う瞬間でした。





こういう空間に入ったら、わたしも同様の反応を起こすと思います。


お酒とお茶 [酒]

ここ最近、日本にいる妹とメールや電話でやりとりすることが幾度かありました。
その中で改めて気づいたことは、何か不安や心配事を抱えた時、妹は普段それほど飲まない酒をすすんで飲もうとする傾向があるのに、わたしの場合はいつも当たり前に飲んでいる酒が途端に飲めなくなるということでした。


とにかく、この12日間酒をまったく飲まなかったというのは自分でも驚きでした。


酒を飲まずに過ごした夜は、こんな様子です。


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毎晩台湾のお茶を飲んでいました。
高山茶、阿里山など、香りも楽しめるお茶を飲みながら過ごす夜はなかなか楽しく、
ブログ名もいっそのこと、「茶とラーの日々」に変えてしまおうかと思うほどでした。

しかし、お茶を飲み始めると目が冴えてきてなかなか眠れなくなるので、
それはそれで困ったものです。
幸い夜型の生活をしているので、あまり問題はなかったのですが。


そして、今夜久しぶりに飲んだ酒・シーバス・リーガル。


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やはりブログ名は「酒とラーの日々」で。



お茶でもお酒でも、どちらでも構わない。
家族と猫たちがずっと健康でいてくれれば。


それが何事にも変えられない基本です。


またまたうまい酒が! [酒]

新年早々ついてます。

また、うまい酒が手に入りました。台湾人の同僚が、新潟に住むお姉さんをこの正月に訪ねてきて、おみやげにと新潟の銘酒・麒麟山をプレゼントしてくれたのです。しかも一升瓶!Lydiaさん、ありがとう。

 

麒麟山の通称「伝辛」は吟醸酒でも純米酒でもありませんが、昔から地元の人にこよなく愛され飲まれている酒です。そんなところが故郷の酒・呉春の普通酒とよく似ています。

日本酒の辛口というのは文字通りの「辛さ」を意味するのでなく、飲んだ後に日本酒特有の舌にまとわりつくようなまどろっこさがないものだと思います。米の味がしっかり残っていて、飲み口はふんわりとやわらかく、何杯飲んでも飲み飽きない。呑み助にとっては理想のお酒と言えます。

 

酒の肴は台湾の宜蘭名物・鴨賞(アヒルの燻製)。蒜(見かけはネギのようなもの)を加え、軽く酢とゴマ油をかけて食べます。酒がすすみます。

 

晩酌をしながら、ツェッペリンのライブを眺めます。

 

これはマメです。いつのまにかPCの前にも陣取るようになりました。最近はラーと入れ替わりにやってきます。ラーと違うところは、PCの画面を一心に凝視することです。動画などには手を伸ばして反応することもあります。

 

ツェッペリンが1969年にデンマークのテレビに出演した時の映像です。DAZED AND CONFUSEDで、ジミー・ページがヴァイオリンの弓を使ってギターを弾くシーンには、鯉三もマメも驚きで画面に釘付けとなりました。

 

しかし、ちと演奏が長かったか。

 

キーボードに身を乗り出して、そのまま眠ってしまいました。

 


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山下さんのこと(後) [酒]

この下宿の住人たちには、部屋に鍵をかけるという習慣がありませんでした。帰省などで長期間留守にする時だけは鍵を閉めますが、普段仲良くしている者同士は、形だけのノックをしてズカズカと他人の部屋に上がりこむというのが当たり前でした。私の部屋にもそうやって、一日に何人もの住人が入れ代わり立ち代わりやってきました。

でも、山下さんはいつもやってくるわけではありませんでした。たまたまどちらも部屋にいて、何もすることがない時に「ちょっと寂しいので酒でも飲もうかな」と思っていると、ふらっとわたしの部屋へやってくるのが普通でした。こういう距離感は、気ままなわたしにとって、とても好都合で快適なものだったのです。

 

夏休みのある日、福岡で就職して暮らしている高校時代の友人を訪ねに、JRの青春18切符を買って京都から九州までのんびり一人旅をしようと考えていました。その話を山下さんにすると、岡山まで一緒に行こうと言ってきました。山下さんはその頃、本格的に美術の勉強を始めようと大学院の進学を考えていたのです。岡山へは願書を提出しに行くということでした。わたしは快く受け入れました。

岡山での用事に付き合った後、せっかくだから近くの島にでも渡って、うまい魚でも食いながら一杯飲ろうかという話になりました。わたしも時間はいくらでもあったので、その提案にのりました。でもその時、なにか他人と一緒に行動し続けることのわずらわしさのようなものが、わたしの中に少しずつ芽生えてきていたのです。

山下さんは、自分の考えを押し付けるようなことはしない人でした。降って沸いたような島への旅の計画もすべてわたしに任せ、そこに意見を挟むようなことはしませんでした。ところがその山下さんの大人の振る舞いが逆に、わたしをイライラさせ始めたのです。

山下さんは意外に几帳面な人で、列車の時間や船の出航の時間などに常に気を配っていました。行く先々で急に立ち止まったり寄り道したりするわたしを見ては、「さあ、もう行きましょう!」と声を掛けてきました。わたしはそれに黙って従うのですが、心の中では「自分の時間は自分で決めたい」という思いが段々強くなるのを抑えられなくなっていました。

目的の島へ船で渡り、安い民宿の部屋に荷物を置いてから、すぐ海へ泳ぎに行くことにしました。夏休みとはいえ、平日の海は人もまばらで、のんびり海水浴を楽しむにはうってつけでした。わたしは海水浴を楽しもうと思っていたのですが、もうその時にはすっかり無口になってしまっていました。山下さんはそんなわたしを知ってか知らずか、時折り思いついたように話しかけてくるのですが、わたしは適当にうなずくだけでした。

 

浜から300メートルほど沖合いに、筏(いかだ)が一つ浮かんでいました。特に何かを思って始めたのではないのですが、わたしはその筏を目指して猛然と泳ぎ始めました。筏の上に座り、息を整えていると、山下さんが物凄いスピードでこちらへ泳いでくるのが見えました。筏にのぼった山下さんは何も話さずに、わたしの隣に座って大きく息をついていました。

 

慌てたように、必死でこっちへ泳いでくる山下さん。

その姿を今でも忘れることができません。

 

 その夜は何もなかったかのように二人でうまい魚を食い、酒を飲みました。次の日再び船に乗り、列車の駅がある町へ向かいました。そこで山下さんと別れることになっていました。山下さんは京都へ戻り、わたしは九州へ向かうのです。駅のプラットホームで、別れる直前まで山下さんは険しい顔で時刻表とにらめっこをしていました。

「時間はちゃんと決めた方がいいですよ」

山下さんはそう言って、わたしに九州へ向かう列車の時間と次の降車駅を教えてくれたのです。そして、その駅でわたしは山下さんと別れました。

 

一人になった列車の中で、しばらく山下さんのことを考えていました。

 

その後、山下さんもわたしも進学の夢を断念し、それぞれ就職するのですが、それまでにもたまに二人で映画を観たり酒を飲んだりしていました。ただ、就職後はわたしの方に気持ちの余裕がなく、留守中に山下さんから幾度か電話があったにも関わらず、返事をすることなく現在に至ってしまいました。

 

バーボンを一人で飲んでいると、あの下宿と山下さんのことを思い出します。

普段はロックで飲むのですが、たまにショットグラスを取り出し、「あの時はよく飲んだなあ」などと思い出しながらストレートのウイスキーを、ちょっと顔をしかめながら、ちびりちびり飲んでいます。

(終)/ 前話

ラー、ちょっとセンチになってしまったよ...

 


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山下さんのこと(中) [酒]

 下宿の軒下にさらされていたピンクの共同電話。

 10円玉を入れて使うこの電話にはたくさんの思い出があります。当然ですが、かかってくるのは無料。電話が鳴るのを待ったことも幾たびかありました。ただ、厄介なのは共同であること。他人の電話にも出なければいけないのです。主に電話に出るのは、電話器が入り口に置かれているB棟のFさんと隣のC棟に住む後輩のF君。電話に出た者は、大声で「○○さーん、電話でーす!」と叫ぶようになっていました。わたしの部屋はC棟の二階の一番奥にあったのですが、それでも何度か電話を取りに行ったものです。

 そうやって、「ブルジョワ」のA棟・山下さんにも何度か呼びかけたことがありました。山下さんはぶっきらぼうながらも必ず返事をしてくれ、こちらへすぐに降りてきました。背はわたしよりも高く、細身のひょろっとした人でした。

 ある日、このアパートに住む同じ学部・専攻の友人と共に、思い切って山下さんの部屋を訪ねました。やはりいくらなんでも言葉も交わしたことがない人を突然一人で訪ねるのは不躾だと思ったからです。幸い、この友人は山下さんと面識があったので、間に入ってもらう形で一緒についてきてもらいました。

 ドアの隙間から、白いTシャツに短パン姿の山下さんがヌオッと姿を現しました。一瞬ひるみましたが、そこからは勢いよく自己紹介をして、絵が好きなので、あなたの絵を見せていただけないかと早口にお願いしました。すると山下さんは「ああ、いいですよ」とこれまたぶっきらぼうに普通に答えて、部屋に入れてくれたのです。

 

 こうして、わたしは山下さんと知り合いました。

 

 その部屋は、およそ「ブルジョワ」の生活とは無縁の散らかりようでした。

 部屋の中に充満するのは絵の具の匂いで、あたり一面に絵の具のチューブが転がっていました。ブルジョワの証であるガス台、流し台までも絵の具に占領されていて、コップの中の水は青く染まっていました。

 いくつかの作品が無造作に立て掛けられていました。どれもとても変わった絵でした。大きい目玉が暗闇に浮かんでいるもの、裸の男が背中を向けてうずくまっているもの...一見して、“ああ、これはいわゆるシュールレアリズムと呼ばれる絵なのだ”と思いました。実際、山下さんはダリの絵が好きなようで、同じシュールレアリズム作家のマルグリットなどは一言「下手くそ」と言って、関心を向けませんでした。確かに、素人のわたしから見ても山下さんの絵はかなり技術が高く、そしてその絵にエネルギーを注ぎ込んでいるように思えました。

 これをきっかけに、わたしは山下さんの部屋をたびたび訪ねるようになり、絵の話などをしているうちに映画も好きだということが分かって、お互いが好きな映画について語り合いました。山下さんのお気に入りがベルイマンやビスコンティ、フェリーニであったこともわたしにとっては嬉しく、何時間かけても話は尽きなかったものです。

 もうひとつ、共通点がありました。

 いわずもがな、どちらも酒が好きだったのです。ただ、山下さんの飲み方は、それまでのわたしの飲み方とは明らかに違っていました。山下さんは近くの酒屋で手頃なバーボンを一本買ってきて、わたしの前にドンと置き、ショットグラスを二つ並べました。つまり、ウイスキーをストレートでちびりちびり飲ろうというのです。これにはかなり衝撃を受けました。同学年の人が、こんなに渋い酒の飲み方をしている!

 山下さんとわたしは、こうやって頻繁に互いの部屋を行き来しながら、ビデオで映画を観たり、画集を眺めたりして時を過ごすようになっていったのです。

前話)(続く


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山下さんのこと(前) [酒]

 別に喧嘩をしたわけでもないのに、いつからか音信が途絶え、

 それっきりになってしまった友だちがいます。

  わたしは今でも「友だち」と思っているけれど、

 むこうはどう思っているのだろうか。

 

 学生時代の後半2年を、京都で下宿して過ごしました。下宿先に選んだアパートはそれはそれはすごいところでした。壁の薄い安普請の建物三軒が、ろくに手入れもしない前庭を囲むように向かい合っていて、その中心にピンクの共同電話器が野ざらしに置かれていました。もちろん、「男子学生のみ」のアパートでした。

 ここには同学年の学生が何人か住んでいて、お互いが親しくなるのにはそれほど時間がかかりませんでした。みんななぜか酒好きだったのが幸か不幸か。毎晩のようにどこかの部屋に集まってはお酒を飲んで騒いだものです。同じアパートに住む後輩が明日はテストだと聞くと、みんなでその後輩の部屋に押しかけて勉強の邪魔をしました。今思うとずいぶんひどいことをしたものです。

 

 ところで、わたしが住んでいたのは六畳一間の部屋でした。

 家賃は15000円。トイレ・台所は共同でした。風呂は近くにある銭湯を利用していましたが、夏になると銭湯代をケチろうと、前庭でパンツ一丁になって水浴びをする者もいるくらい、貧乏な学生が住むアパートでした。今の大学生には到底考えられないことだと思います。でも、当時でもこんなところに住んでいる学生はかなり珍しく、遊びに来た友だちは、みんな相当のカルチャー・ショックを受けて帰っていったものです。

 そうやって、一見住人たちは仲良く暮らしていたのですが、実は微妙な違いがありました。それは三軒とも安普請ながらも、そのうちの一軒には水道・ガスが各部屋に付いていたことでした。

 

 先にも触れましたが、わたしの部屋は六畳一間です。当然のこと、水道・ガス付きの部屋に激しく嫉妬しました。いつしか、わたしたちはその部屋の住人を「ブルジョワ」と呼ぶようになりました。嫉妬心はいびつになっていき、“ブルジョワは自分で「ピンクの電話」に出ない”、“「○○さん、電話でーす!」と叫んでも、なかなか降りてこない”などと、憎まれ口を叩くのが普通になっていきました。実にたわいないことですが...

 ある日、同学年の友だちから、そのにっくきブルジョワの中に、一人変わった人がいるということを聞きました。その人は「山下さん」といって、同じ大学・学年の心理学専攻で、いつも部屋に閉じこもっては黙々と油絵を描いているということでした。

 当時、わたしは学校へはあまり行かずに映画館、美術館に通いつめる生活を送っていたので、そんな山下さんにとても興味をもちました。ブルジョワの住人とはいえ、一度会って話してみたい...その気持ちは日に日に強くなり、ついにある日、わたしは山下さんの部屋のドアをノックしてしまうのです。

 

続く


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1階で憩う [酒]

この家を借りてから1年が経ちました。

もともと築30年の古い建物。住み始めてすぐに雨漏り、湿気の多さからくる壁の腐食など、さまざまな問題が発生。わたしたち(わたし+ルームメート+ラー)の健康にも影響が出かねないと考え、台湾人の知人を通して大家に相談したところ、修理を全面的に請け負ってくれました。頭を痛めていた諸問題がやっと解決。もしだめなら、引越しもやむなしと思っていただけに、ホッとしました。

 

今まで手をつけずにいた1階をきれいにしました。

 

ラーも、くつろいでいます。

今日のお酒はBENEVAというテキーラ。

 「幸福を呼ぶ虫」が三匹も入っています。

 

メダカは引越ししました。

水槽が重くて下駄箱に負担がかかるし、やはりメダカにとっては日が射すところが一番だと考えました。下駄箱の上には今、引っ越して間もない頃から飼っている金魚がいます。なかなか可愛いヤツです。名前はありません。

 

今夜はリニューアルした1階で、ラーを隣において晩酌です。

 

追記:

1階の様子の写真、あまりきれいに撮れていなかったので、削除しました。


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ほっと一息 [酒]

ここ数年、夏はとても忙しく、最近は楽しみにしているブログの記事もコメントも書けないでいます。「ラーとの趣味的日常生活」をテーマにしているので、話題(?)には事欠かないのですが、さすがに疲れがたまってきました。世間では夏休みなのに、こちらはさながら「海の家」状態です。

こんな時は、メダカでも眺めましょう!

 

玄関の下駄箱の上に水槽を置きました。10匹以上捕ったのですが、残念なことに半分に減ってしまいました。それでも残ったメダカたちは元気に泳いでいます。また、ヒマを見つけて捕りに行かなくては...

 

さあ、ビールでも飲みましょうか。

 

ベルギー・ビールのDuvelです。アルコール度はなんと8.5%!でも普通のビールだとつい何缶も飲んでしまうので、こちらの方が安あがりか...雰囲気も何もない現実的な話ですね。悲しい...

(おっ!)

前方に忍び寄る影が...

 

(あなたも来たのね)

これまでほとんど使用してこなかった一階の部屋を改装中。メダカがいる玄関口と合わせて、ラーの行動範囲は広がりつつあります。ラーはこの家に一日中いるわけですから、できれば退屈しないで過ごしてもらいたいものです。


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思い出の苦い味 [酒]

小学校から大学1年までの夏休みはいつも、父が仕事をする小さなバイク屋で過ごしていました。少しばかりの小遣いがもらえるのと、バイクの修理や解体を眺めて過ごすのが楽しかったからでしょうか。子どもの頃は、家に帰っても誰もいない毎日でした。母も普段は父の店に出ていたので、そういう意味では「夏休みは寂しくなかったなあ」と懐かしく思い出したりします。

父はバイクの解体やパンク修理などの簡単な仕事をさせてくれることがありました。もちろんクーラーなどはなく、暑さと真っ向勝負で汗だくになっていると、ちょうど昼がやってくるのです。

そんなある日、一つの出会いがありました。

昼ご飯は近くの中華料理屋でとるのが常でした。父は必ず、餃子二人前と冷えたキリン・ビールを注文したものです。いわゆるキリン・ラガーの大瓶です。当時はまだ今のように「飲みやすいだけの生ビール」ではありませんでした。

 「おまえも飲むか?」と差し出されたコップのビールはとても冷たく、そしてとても苦かった。それまでにも、父から「飲んでみるか」という感じでビールを飲まされたことはありましたが、ただ苦いだけの飲み物がおいしいものだとはとても思えませんでした。

しかし、この時飲んだビールの苦さは格別でした。

キンキンに冷えたその苦い液体がのど元を通り過ぎていく瞬間の驚きと興奮、飲み干した時に頭をかけのぼった心地よい酔いとしびれ...

 

ビールとの出会い、まさに原体験でした。

 

これで火がついたのかどうか...それ以来ビールは毎日の生活に欠かせないものとなりました。食事時には必ずわたしにもコップ一杯のビールが与えられる、それが当たり前になってしまったのです。父はそのことをかなり後悔していたようですが、もう後の祭りでした。

今でも仕事が終わった後には必ずビールを飲んでいます。多くの人が言うように、一日の終わりを実感する瞬間です。「これを飲まなきゃ、終わらない(始まらない?)」といった感じでしょうか。

 

それでもなお、こう思うのです。

 

あの暑い夏。あの時に飲んだビールは本当にうまかった。

そしてあの時ほど、ビールをうまいと思ったことはないなあ、と。

 

 

 

 台湾でしか発売されていないキリンのBar BEERです。


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